【羅針盤 020】視線の端で動くものを捕らえる

 おばけや幽霊の話しではありません。












ものを見る時って、そのものを注意して見つめるよりも、ちょっと引いた感じで視野を広げて見渡した方が逆に良く見えてくる(検知できる)場合があると感じる。

例えば、車を運転しているときなんか。

信号や標識、歩道にいる人、隣の自転車、前後の車に対向車、先の交通状況をなどを、せわしく視線を移動させながらひとつひとつ集中して確認するのって難しい。
しかし、確認しなければ安全が確保できない。

そんなとき、ちょっと引いた感じで全体を広く見渡すと、他の車や人などの動いているものだけがよく見えてくるようになったりする。
特に視野の中央より端の方が、動いているものを検知するのに敏感なようだ。しっかりとピントが合っているわけではないが、動いているか止まっているかがわかりやすく、危険を判断するのに適しているように感じる。


星空を見るときも、一点を集中してみるよりも広く全体を見渡す方が良く見えてくることがある。

ここ最近、あまり明るい彗星は話題となっていないようだが、彗星を観察する場合、彗星そのものを視野の中央でしっかり見ようとするとあまりよく見えないときがある。

むしろ視線を少しずらすと、核からの尾の流れや形が見やすくなったりする。

流れ星を観察するときなんかも、暗い流れ星は視野の周辺を流れるとその動きがよくわかる。

そんなことを思い返していたら、たまたま青空文庫で読んだ物語にも似たようなことが書いてあり共感しました。以下その箇所の抜粋。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

・・・。こういった誤謬の典型は、天体を観察するときのことでよくわかる。星をちらりと見ることが――網膜の外側を(そこは内側よりも弱い光線を感じやすいのだ)星の方へ向けて横目で見ることが、
星をはっきり見ることになる、――星の輝きがいちばんよくわかるのだ。その輝きは眼を星に十分に[#「十分に」に傍点]真正面に向けるにつれてぼんやりしてゆく。そりゃああとの場合には実際たくさん光線が眼に入るさ。が前の場合にはもっと安全な感受能力があるのだ。過度の深さは考えを惑わし力を弱める。あまり長く、一心に、あるいはまともに、じっと見ていれば、金星だって大空から消えて見えなくなるかもしれんよ。

モルグ街の殺人事件 より
THE MURDERS IN THE RUE MORGUE
エドガー・アラン・ポー Edgar Allan Poe
佐々木直次郎訳

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視野の端を含め全体で見渡すことと、ぼんやり見ることとは違います。

念のため。 では、


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